rakko整体院

目指すものがあることで得られるもの

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目指すものがあることで得られるもの

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2021/11/10

リア充の理由

こんにちは!

水曜日の勝手に聖書を解釈の時間です。

今日の箇所はこちら

ローマの信徒への手紙 8章 1〜11節

です。

 

今回のお話しは

キリスト教徒は迷うことはありません。

なぜならイエスキリストの死と復活を心に刻んでいれば

たとえ、生きる屍状態になっても、また必ずやる気を取り戻し、

充実した生活をおくることができるでしょう。

と、いうことを言っていると解釈しました。

 

ちょっとここで私の視点を記しておきます。

例えば…

聖書のどこかの箇所で、

イエスさまが一つのパンを物凄い人数にいきわたされた、というお話があったと思います。

じゃ、事実としてドラえもんの道具のように一つのパンから何百人の人たちにパンが与えられたんだ!

それを信じる!!

では、無いんです。

一歩引いた目線で、

パンが与えてくれる状態、それを何百人に与えることができたんだ!

と、考えます。

ここだけで判断すると、イエスさまはコメディアンでもいいんです。

パンを貰って満たされる喜びや感激を何百人にも与えられた。

それが私の考える聖書が示す事実であり、

信じてもいいと思える点です。

 

そんな一歩引いた目線を踏まえ、

今回の箇所の私の考えた単語の意味するものを記します。

1、肉=本能

2、霊=希望、目指すモノ

3、律法=平和のルール

4、罪=迷い

5、神=長期的視野

当てはめて今回の箇所を読んでみると

聖書を信じればリア充になる。

その理由が書かれているのでは無いでしょうか?

 

私の勝手な解釈。

楽しんでいただければ幸いです。

それでは、また

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